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神戸地方裁判所 昭和62年(行ウ)24号 判決

原告

沖野敏男

被告

神戸港労働公共職業安定所長畠中多賀治

右指定代理人

山本正明

森澤茂己

黒田淳

峰広幸

野中正信

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和六一年一〇月一七日付でした日雇港湾労働者登録取消処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は昭和五六年六月一日、神戸港労働公共職業安定所(以下「当安定所」という。)の登録日雇港湾労働者となったものである。

2  被告は原告に対し、昭和六一年一〇月一七日、次の理由で右登録の取消処分(以下「本件処分」という。)をし、同日その通知書を原告に送達した。

(一) 原告は同年六月一日から同年九月二九日までの間、無届による不出頭を行い、かつ、その不出頭理由が正当なものとは認められない。

(二) 同五七年一〇月四日及び同六〇年一一月五日に発生した公傷について、意図的に公傷期間の引延ばしを行った。

3  原告は本件処分を不服として、同六一年一一月二九日兵庫県知事に対し審査請求をしたが、右請求は同六二年四月一一日棄却され、原告は同月一三日右裁決書を受領した。

4  しかしながら、本件処分は次に述べるとおり違法なものである。

(一) 原告は昭和六一年六月一日から当安定所に無届で出頭しなかったものであるが、それはやむを得ない理由によるものである。

(1) すなわち、原告は、同六〇年一一月五日に発生した公傷が同六一年五月三一日時点では完治していなかったにもかかわらず、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく休業補償が同日までしか給付されないとのことであったので、右公傷の治癒の扱いについて神戸東労働基準監督署と折衝を続けていたものであるが、結局、同監督署長から同日治癒の旨の通知を受けたのは同年八月七日になってからであったため、同月二六日これに対して不服申立をした。

(2) 当時、原告は同六〇年一一月五日発生した傷害が完治しておらず、入浴の際、かけ湯をするにも洗面器の湯量を減らさなければならなかったり、喫煙の際、灰を灰皿に落とすにも不便を感じるほどで、到底就労できる状態ではなかった。

(3) さらに、同六一年一〇月一日、当安定所に呼出された際、当安定所の紹介第一係長野中正信(以下「野中係長」という。)から不出頭理由を書面にして提出するように言われたので、原告は同日書面を提出し、不出頭理由を明らかにした。

(二) 公傷期間の引延ばしについては事実無根である。

すなわち、昭和五七年一〇月四日に発生した公傷については、同五八年七月六日まで休業補償給付を支給されており、当安定所も原告の公傷が完全に治癒していないことは十分知っていたはずである。また、同六〇年一一月五日に発生した公傷については前述のとおり同六一年八月時点でも完全に治癒しておらず、同年五月三一日までは休業補償給付が支給されていたものである。

(三) 本件処分は他事考慮によって作意的に原告を狙い打ちにしたもので、憲法一三条ないし一五条にも違反するとともに、その手続も違法なものである。

すなわち、原告は昭和五七年四月一日の交通事故及び同年一〇月四日の公傷の件をめぐり、全日本港湾労働組合関西地方神戸弁天浜支部(以下「組合支部」という。)の支部長と対立しており、原告が「港湾労働法闘争積立金」の意義を問いただしたりしたことなどから除名されそうになったこともあるところ、本件処分は組合支部長が当安定所に働きかけた結果されたものである。そもそも当安定所が原告の無届不出頭を知ったのも組合支部から公傷で休んでいる者を呼出すようにとの要請を受けたからである。本件処分はこのような事情のもとにされているため、神戸港登録日雇港湾労働者取消運用基準(以下「運用基準」という。)1によれば、港湾労働に従事するために必要な能力を有しない者又は適格性を欠く者として事業主より公共安定所所長に通報があって所長が妥当と認めた者について登録取消処分ができることとなっているにもかかわらず、当安定所は、これに反して、同六一年一〇月四日及び六日に日本港運株式会社(以下「日本港運」という。)及び川西港運株式会社(以下「川西港運」という。)の各事業所の担当者から原告の公傷について事情聴取を行った後の同月八日に、右各事業所から当安定所に通報書類を提出させるという順序となった。また、同月一四日、原告は当安定所港湾労働課長浅見亨、野中係長、同紹介係大八木某及び同事業課員一名から聴聞を受けたが、既に本件処分は決まっていて、右聴聞は形式的なものにすぎず、原告の言い分は聞き入れられなかった。

5  よって、本件処分は違法であるからその取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3項の事実は認める。

2  同4項の本件処分が違法である旨の原告の主張は争う。

(一) 同4項(一)のうち、神戸東労働基準監督署長が原告に対し昭和六一年五月三一日をもって労災認定を打切りとした旨通知したこと、原告がこれに対し不服申立をしたこと、野中係長が同年一〇月一日原告に対し不出頭の理由等について報告を求めた事実は認め、その余は争う。

(二) 同4項(二)のうち、原告がその主張の日まで休業補償給付を支給されていた事実は認め、その余は争う。

(三) 同4項(三)の主張は争う。

三  被告の主張

次に述べるとおり本件処分は適法である。

1  本件処分に至る経緯は次のとおりである。

(一) 原告は昭和五七年一〇月四日、日本港運において艙内荷役作業中、左踵骨骨折の傷害を負い、同日から同年一一月二五日まで神戸博愛病院で、同日から同五八年七月六日まで荻原整形外科病院で労働災害として休業治療を受けたが、同病院医師は同年二月には就労可能の診断をしていた。

(二) 原告は、同六〇年九月五日、川西港運において艙内荷役作業中、右示指骨骨折の傷害を負い、同日から同年一〇月三一日まで神戸みなと病院で労働災害として休業治療を受けた。

(三) 原告は同年一一月五日、川西港運において艙内荷役作業中、左肩打撲(肩板損傷の疑)の傷害を負い、同日から同六一年五月三一日まで医療法人昌栄会吉田病院(以下「吉田病院」という。)で休業治療を受けたが、同病院医師宮地芳樹(以下「宮地医師」という。)は同年二月末就労可能の診断をしていた。

(四) 右(三)の傷害について同年五月三一日までは川西港運から公傷の届出書が提出されたが、以後は提出されていないにもかかわらず、原告は当安定所に出頭しなかった。

2  ところで、同六〇年一一月五日発生の公傷について宮地医師は、就労可能と診断した後である同六一年五月三一日まで休業治療を要する旨の診断書(通知書)を作成しているが、その経緯は次のとおりである。

宮地医師が原告に同年二月末には症状は固定し就労可能であると伝えたところ、原告は痛みが未だ治癒していない旨主張し、同月二七日には原告の左肩にあたったとする重さ約一〇キログラムのホコを持参して痛みがあることを強調した。原告はその後の同年三月上旬、神戸大学医学部附属病院で受診したが、異常はなく原告の痛みは臨床所見と一致しない旨診断されたため、原告は再度宮地医師に痛みがあって未だ治癒していないことを強調した。このため、宮地医師は原告の痛みに医学的裏付けはなかったものの、原告との再三にわたる口論のたびに他の患者に迷惑がかかっていたこと、原告がホコを持参したことなどからやむを得ず前記の診断書を作成した。

3  ところで、港湾労働法(以下「法」という。)における登録の取消は公共職業安定所長が、登録日雇港湾労働者が法一〇条一項各号に該当するとき、労働大臣が中央職業安定審議会意見をきいて定めた基準である一九一号通達の別紙2及びこれに準拠して各港毎に定められた運用基準、すなわち当安定所においては、昭和五七年九月二五日付運用基準によって行なわれる。

(一) そして、登録日雇港湾労働者は、疾病又は負傷等の正当の理由がない限り、公共職業安定所に出頭しなければならない(法二〇条一項本文)のであり、この義務に違反して出頭をしばしば怠ったとき、同所長は登録を取消すことができるところ(法一〇条一項五号、一九一号通達の別紙2の二(3))、前記1項(四)の原告の不出頭はこれに該当する。

(二) また、登録日雇港湾労働者が港湾労働に従事するために必要な能力を有しない者、あるいは適格性を欠く者に該当するに至ったとき、公共職業安定所長は当該労働者の登録を取消すことができ(法一〇条一項一号、八条一項一号又は三号、一九一号通達の別紙2の二(1)、一1(1)(3))、運用基準は右の「能力を有しない者又は適格性を欠く者」として「常習的公傷者」などを列挙し、これらの者について事業主から公共職業安定所長に対し通報があった場合、当安定所長は登録を取消すことができる旨定めている。そして、常習的公傷者とは、公傷による労災保険法に基づく休業補償給付の受給を常習とし、あるいは公傷期間の引延ばしを繰返す者をいうが、かかる者を登録取消事由とした理由は、常習的公傷者の存在が事業主の業務に支障を来たし、それがため求人を自粛することにもなりかねず、ひいては港湾運送の秩序を著しく乱すおそれが生ずることになるからであるところ、原告は前記1(一)ないし(三)のとおり昭和五七年一〇月四日から同六一年五月三一日までの約三年半の間に、三回にわたって負傷し、そのため約一八か月間休業して休業補償給付を受給し、しかも症状が固定し就労可能と診断がされた後も痛みが存続することを強調するなどして公傷期間の引延ばしをしたものであり、常習的公傷者と認められる。

したがって、原告は法一〇条一項一号、八条一項三号、運用基準一(4)に該当する。

4  以上のとおりであるから、被告が原告に対してした本件処分は適法である。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1項(一)のうち、原告が被告主張の日にその主張の傷害を負い、その主張の日まで休業治療を受けたことは認めるが、被告主張の時期に原告が就労可能であったことは争う。原告はその後も神戸診療所において就業治療を受けたものである。

(二)  同項(二)の事実は認める。

(三)  同項(三)のうち、原告が被告主張のころ就労可能であったことは争い、その余の事実は認める。

(四)  同項(四)の事実は認める。

2  同2項のうち、昭和六一年五月三一日まで休業治療を要する旨の診断書が作成されたこと、原告が神戸大学医学部附属病院で受診したこと、原告が同年二月二七日吉田病院に被告主張のホコを持参した事実は認め、その余は争う。

原告は、同月一三日吉田病院で宮地医師から、「会社(川西港運)が文句を言ってきたから、今月一杯くらいで仕事に出なければ仕方がない。」旨告げられたものである。その後は、宮地医師に原告の仕事の内容の説明をするなどしたが受け付けてもらえなかった。

なお、就労可能か否かの判断は、症状回復度と仕事の量や種類との関係で決まるべきところ、労働基準監督署のいう就労可能とは軽作業に従事する場合をいい、原告の従事しているような重労働にはあてはまらず、この点は野中係長も認めているところで、当安定所も熟知しているはずである。

3(一)  同3項(一)のうち、原告が正当な理由なくして当安定所に出頭しなかったことは争う。

(二)  同項(二)のうち、原告が常習的公傷者に該当することは争う。

4  同4項は争う。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1ないし3項の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件処分の基礎となった事実関係について検討する。

1  原告が昭和五七年一〇月四日、日本港運において艙内荷役作業中、左踵骨骨折の傷害を負い(以下「第一傷害」という。)、同日から昭和五八年七月六日まで休業治療を受けたこと、同六〇年九月五日、川西港運において艙内荷役作業中、右示指骨骨折の傷害を負い(以下「第二傷害」という。)、同日から同年一〇月三一日まで神戸みなと病院で休業治療を受けたこと、同年一一月五日、川西港運において艙内荷役作業中、左肩打撲(肩板損傷の疑)の傷害を負い(以下「第三傷害」という。)、同日から同六一年五月三一日まで吉田病院で休業治療を受けたこと、第三傷害に関して、吉田病院の宮地医師が同六一年五月三一日まで休業治療を要する旨の診断書(通知書)を作成したこと、また、川西港運から同日までの公傷の届出書が当安定所に提出されたこと、さらに、原告が同年六月一日から九月二九日まで当安定所に無届で出頭しなかったことは、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、原告は右各傷害の休業期間、労災保険法に基づく休業補償給付を受けたことが認められる。

2  (証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  第一傷害について

(1) 原告は、昭和五七年一〇月四日から同年一一月二五日まで神戸博愛病院で、同日から同五八年七月六日まで萩原整形外科病院で、いずれも休業治療を受けた。

(2) 原告の症状について、同病院の担当医師である萩原一輝(以下「萩原医師」という。)は同年二月には症状が固定し就労可能であるとの診断をして、原告にその旨伝えたが、原告は納得せず痛みが持続しているとして治療を続けるよう求めた。

(3) その後も原告は、萩原医師から、同年三月、四月、五月と引続き就労するよう説得されたが、これを拒否し、結局、同年七月六日迄休業して治療を続けた。

(4) なお原告は、同年六月一四日、兵庫労働基準局の官医の診断を受けたが、その結果は原告の症状は固定しているというものであった。

(5) また、当時の原告の事業主であった日本港運は神戸港の労使の申し合せに従って、原告に関する労災保険法に基づく休業補償給付の手続を代行していたが、同年五月一日以降の分については、原告が自ら請求するとして、その用紙を右事業所に請求し、同年六月一日から同年七月六日までに係る分の請求に関して、担当医師、事業主及び神戸東労働基準監督署等との間で、治療をめぐって再三トラブルが生じた。

(二)  第三傷害について

(1) 原告は、吉田病院の宮地医師から昭和六一年二月に、症状が固定し就労可能であるとの診断結果を伝えられたが、同医師に対し痛みを訴え、未だ傷害が治癒していない旨強く主張した。

(2) そこで原告は、同年三月上旬、神戸大学医学部附属病院で受診したが、異常はなく、臨床所見と一致しない旨診断された。

(3) しかし、同年三月二〇日、原告は再度吉田病院に行って宮地医師に対し、痛みがあって未だ傷害が治癒していないことを強調したため、同医師は原告の痛みに医学的な裏付けはなかったものの、原告の要求に応じてやむを得ず治療を継続し、同年五月一日に同月三一日まで休業治療を要する予定である旨の診断内容の通知書を作成し、当時の原告の事業主である川西港運に交付した。

(4) なお、原告は同年六月三日に兵庫労働基準局の官医の診察を受けたが、その結果も就労可能と診断され神戸東労働基準監督署からその旨の通知を受けた。

(三)  登録取消処分に至った経緯について

(1) 当安定所は、公傷及び私病者の長期不出頭者についてリストを作成し、定期的な呼出しを行なっているが、同六一年九月一一日ころこのリストにあげられた者につき脱漏がないか組合支部の記録と照合したところ、原告は既に同年五月三一日で公傷期間が終了していて、同年六月一日からは無届不出頭となっていることが判明した。

(2) そこで被告は、同年九月三〇日に当安定所に出頭してきた原告から事情聴取をし、同年一〇月一日には不出頭理由につき原告に書面を提出させ、さらに同月三日と一四日にも重ねて事情聴取を行なう一方、原告を治療した医師、事業所の担当者、神戸東労働基準監督署等からも事情を聴き、原告の無届不出頭及び各傷害について調査を行なった結果、被告は原告が運用基準1(4)所定の常習的公傷者であり、前記不出頭についても正当な理由がないものと判断した。

(3) そして、この間の同年一〇月八日、神戸港湾荷役協会会長から、被告あてに、原告について公傷が多発し、その都度トラブルが発生して事務処理に困難を来たしているので、確固たる処置を求める旨の申入れ(通報)があった。

(4) そこで被告は原告に対し本件処分を行なった。

三  以上の事実関係に基づき、被告の本件処分が違法か否かを判断する。

(一)  前記認定事実に照らせば、原告は第一ないし第三傷害を理由に昭和五七年一〇月四日から同六一年五月三一日までの約三年半の間に約一八か月休業して、この間労災保険法に基づく休業補償給付を受給したうえ、第一傷害及び第三傷害に関して、医学的裏付けのない痛みを理由に公傷期間の意図的な引延ばしを行なったものと認めるのが相当である。

また、原告は昭和六一年六月一日から九月二九日までの間の当安定所に出頭すべき日に出頭せず、その届出もしなかったのであるが、この点に関して原告が主張するところはいずれも正当な不出頭理由とは認められない。

(二)  右の前段事実は法一〇条一項一号、八条一項三号、運用基準1(4)に該当し、後段の事実は法二〇条一項本文、一〇条一項五号にそれぞれ該当する。

(三)  なお、原告は、本件処分は原告と対立していた組合支部長が当安定所に働きかけて行なわせたものである旨主張し、原告本人尋問の結果中にはこれにそう供述があるが、右供述は憶測の域を出るものではなく、ほかに原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。また、原告が主張する本件処分のその他の違法事由についても、これを認めるに足りる証拠はない。

四  以上の次第で、本件処分には原告の主張するような違法はなく、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川敏男 裁判官 野村利夫 裁判官 猪俣和代)

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